伝説の駅「常盤園下」駅♪
おはようございます

今朝ものすごい勢いで雨が降っていたので、いよいよ梅雨も本格化・・!?
と思った矢先、明日は午後から晴れてその後は曇りの日が続くようです
今日は院長から頂いた情報をご紹介いたします

皆さん、かつて当院周辺に「常盤園下」という駅があったのをご存知でしょうか

常盤園下駅は、和田町駅が誕生する20年以上も前に存在した鉄道駅です
1930年頃に新設されたものの、戦争などの影響によりわずか14年で閉鎖したという伝説の駅なんです



↑1939(昭和14)年の2万5千分1地図でみた相鉄の「常盤園下駅」です
場所は、現在の水道道沿い、ちょうど横浜新道の下あたりにある相鉄バスの折り返し場所にあったそうです
ですが・・

この地図から分かるように、それ以前では200mほど星川駅よりに「こうえんした」という駅があったそうですので、移転して「常盤園下駅」に名称変更されたのですね
そして、1944(昭和19)年に休止、1952(昭和27)年に西へ移動して現在の「和田町駅」となりました
さて、この先ほどからでているキーワード「常盤園」とは一体何なのでしょう
関連性がありそうなもので思いつくものとしては・・
和田町駅から坂を登ると、起伏が激しく緑が多い「常盤台」という町がありますよね
(まさに私の住み家です
笑)
また、常盤台へ向かう坂道の途中には、「常盤園入口」・「常盤園前」というバス停があります
しかし、付近には「常盤公園」という名の公園はありますが、「常盤園」と名の付くものは20年以上生きてきて見たことがありません
なぜかというと・・
「常盤園」とは、現在はもう存在しない幻の園だからです
かつて常盤台にあった富豪の別荘だそうです
その富豪とは保土ヶ谷を地盤としていた岡野家のことです
岡野家といえば、代表的なもので江戸時代の1833(天保4)年に海面を埋め立てた「岡野新田」の造成が挙げられますが、この場所は今の横浜駅西口近くの西区岡野周辺になります

現在でも、町名をはじめ交差点やバス停の名前としても「岡野」の名が残っていることがわかります
さて、この岡野家の別荘常盤園ですが、常盤台一体で約9万坪もの広さに及びました
大正3(1914)年10月には、岡野欣之助が自らの資産を投じて改めて造成し、一般公開しました
敷地内には、桜、梅、松、檜などが植えられ、花園や梅林、竹林、ケヤキ林、更にはぶどう園や養鶏場、果樹園、運動場などがあったそうです

梅や桜の季節になると常盤園は大変混雑し、そこへ続く坂には出店がでるほどだったということです
そして、当時の最寄り駅が、ズバリ「常盤園下」駅だったのです

現在、常盤園だった地には、常盤公園や市立恵風ホーム、また一部は横浜国立大学のキャンパスとなっています
そのうち常盤公園は、常盤園の入口付近の一部を1942年に横浜市が買収して開設しました
園内は緑あふれる遊歩道のほか、市営の弓道場やテニスコート、運動場などが整備され、近隣住民の憩いの場となっています


私も甥を連れて散歩したり、ランニングしたりしています
割と広い公園ですが・・常盤園全体の敷地の約6分の1だそうです
いかに常盤園が広大であったかがよくわかります

常盤台が坂に出店がでるほど栄えていたなんて・・
現在は横国生の領地化しているので、
常盤台住民としては驚きです
(笑)
できるものなら、タイムスリップしてみたいものです
毎日当たり前のように、駅や電車を利用したり、町の中で生活していますが、
このように歴史をさかのぼってみると、
昔の人々の努力を感じることができたり、またその名残が駅名や町名に今も残っていたりしていて、とても興味深いです

この他にも何か情報をご存知でしたら、是非教えてください
それでは今日はこの辺で
明日のデンマーク戦、同点・・いや、是非勝ってほしいです


期待しています
ガンバレ日本


今朝ものすごい勢いで雨が降っていたので、いよいよ梅雨も本格化・・!?
と思った矢先、明日は午後から晴れてその後は曇りの日が続くようです

今日は院長から頂いた情報をご紹介いたします


皆さん、かつて当院周辺に「常盤園下」という駅があったのをご存知でしょうか


常盤園下駅は、和田町駅が誕生する20年以上も前に存在した鉄道駅です

1930年頃に新設されたものの、戦争などの影響によりわずか14年で閉鎖したという伝説の駅なんです




↑1939(昭和14)年の2万5千分1地図でみた相鉄の「常盤園下駅」です

場所は、現在の水道道沿い、ちょうど横浜新道の下あたりにある相鉄バスの折り返し場所にあったそうです

ですが・・

この地図から分かるように、それ以前では200mほど星川駅よりに「こうえんした」という駅があったそうですので、移転して「常盤園下駅」に名称変更されたのですね

そして、1944(昭和19)年に休止、1952(昭和27)年に西へ移動して現在の「和田町駅」となりました

さて、この先ほどからでているキーワード「常盤園」とは一体何なのでしょう

関連性がありそうなもので思いつくものとしては・・
和田町駅から坂を登ると、起伏が激しく緑が多い「常盤台」という町がありますよね

(まさに私の住み家です

また、常盤台へ向かう坂道の途中には、「常盤園入口」・「常盤園前」というバス停があります

しかし、付近には「常盤公園」という名の公園はありますが、「常盤園」と名の付くものは20年以上生きてきて見たことがありません

なぜかというと・・
「常盤園」とは、現在はもう存在しない幻の園だからです

かつて常盤台にあった富豪の別荘だそうです

その富豪とは保土ヶ谷を地盤としていた岡野家のことです

岡野家といえば、代表的なもので江戸時代の1833(天保4)年に海面を埋め立てた「岡野新田」の造成が挙げられますが、この場所は今の横浜駅西口近くの西区岡野周辺になります


現在でも、町名をはじめ交差点やバス停の名前としても「岡野」の名が残っていることがわかります

さて、この岡野家の別荘常盤園ですが、常盤台一体で約9万坪もの広さに及びました

大正3(1914)年10月には、岡野欣之助が自らの資産を投じて改めて造成し、一般公開しました

敷地内には、桜、梅、松、檜などが植えられ、花園や梅林、竹林、ケヤキ林、更にはぶどう園や養鶏場、果樹園、運動場などがあったそうです


梅や桜の季節になると常盤園は大変混雑し、そこへ続く坂には出店がでるほどだったということです

そして、当時の最寄り駅が、ズバリ「常盤園下」駅だったのです


現在、常盤園だった地には、常盤公園や市立恵風ホーム、また一部は横浜国立大学のキャンパスとなっています

そのうち常盤公園は、常盤園の入口付近の一部を1942年に横浜市が買収して開設しました

園内は緑あふれる遊歩道のほか、市営の弓道場やテニスコート、運動場などが整備され、近隣住民の憩いの場となっています



私も甥を連れて散歩したり、ランニングしたりしています

割と広い公園ですが・・常盤園全体の敷地の約6分の1だそうです

いかに常盤園が広大であったかがよくわかります


常盤台が坂に出店がでるほど栄えていたなんて・・

現在は横国生の領地化しているので、
常盤台住民としては驚きです


できるものなら、タイムスリップしてみたいものです

毎日当たり前のように、駅や電車を利用したり、町の中で生活していますが、
このように歴史をさかのぼってみると、
昔の人々の努力を感じることができたり、またその名残が駅名や町名に今も残っていたりしていて、とても興味深いです


この他にも何か情報をご存知でしたら、是非教えてください

それでは今日はこの辺で

明日のデンマーク戦、同点・・いや、是非勝ってほしいです



期待しています



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